徒然なるECO

ECO部員によるECOエッセイ


2008/03/05

【デポジット方式】

 デポジット方式とは、缶・瓶などの販売時に保証金を上乗せして販売し、それらの回収の際に保証金を返金する制度のことです。環境先進国のドイツでは、「1988年ペットボトル/デポジット政令」にてペットボトルにデポジットが義務付けられました。
 では、日本ではどうでしょうか?なんと、日本にはデポジットの優等生中の優等生ともいえるものがあります。
 それは、ビール瓶です。瓶ビールは1本につき5円ずつ上乗せして販売されており、飲んだ後空き瓶を酒屋さんに返却すれば5円が払い戻されるという仕組みで、回収率は約99%にもなります。ビール瓶は3〜4年かけて平均約20回使われます。新しい瓶を作ると40円かかるところが、回収・洗浄して再利用すると20円で済むそうですから、経済的でもあるわけです。
 しかし、優等生であるビール瓶ですが、1990年代初頭には約60億本あった販売本数も、現在では55億本程度と年々減少傾向にあります。ビールの消費量は増加してるものの、家庭は缶ビールに、飲食店では樽に移行していることが背景にあります。

 そういう私も大のビール党でありまして、北海道富良野の独り暮らしのアパートの小さい冷蔵庫では瓶ビールを寝かせておくスペースはないため、いつも缶ビールをプシュッっと飲んでいました。
 そんな私、この冬、ついに瓶ビールを飲んでみました。缶ビールでは味わえないビール本来のコクと苦味を堪能できた・・・ような気がします。何より、栓を抜くときのシュポッという音がたまらなく喉を刺激します。缶ビールはプシュッで、瓶ビールはシュポッなのです。
 瓶ビールが入るほどの大きい冷蔵庫を買ったのかというと、そうではないんです。冷蔵庫に入れておく必要がないんです。玄関においておけば十分に冷えてます。
 夏場になったらどうしよう・・・と思いながらシュポッ(2本目)。今夜の肴はホッケです。


2008/02/21

 環境対策を推進すると、どうしても今ある生活の維持に関して論議は発展する。

 割り箸を止めると、割り箸屋はどうなってしまうのか?
 車に乗らないで徒歩や自転車を使うと、タクシー屋はどうなってしまうのか?
 レジ袋を使わないようにすると、袋を作っているメーカーはどうなってしまうのか?
 彼等に対して、死ねというのか?

 当事者ならまだしも、おせっかいにも部外者までもが口にする。

 時代の流れなのだ。

 いつの世だって時代が変わるとき、新しい流れが訪れる。
 江戸が終わるとき、「ちょんまげ屋」はどうしたのか?
 戦後、洋服が入ってきたとき、「和服仕立て屋」はどうしたのか?
 最近では、ビデオテープからDVDに主流が移ったとき、「ビデオテープ工場」はどうしたのか?
 死ぬしかなかっただろうか?みんな死んだだろうか?

 今は新しい流れの真っ只中なのだ。しかも、日本だけではなく、世界共通の。


2008/02/03

 ECO部の記念すべき第一回ゴミ拾い活動が実施された。何はともあれ、始めることが出来たことを素直に喜びたい。そして、参加したメンバーに感謝したい。感謝したい などと言うと、怒られるかもしれない。「俺は別に誰かに感謝されるために参加してるんじゃない」と。
 地球環境が危うい状況なのは日本中の人々が認識しているはず。でも、どこか、他人(ヒト)のせい にしてしまって、自分からは動こうとしない。

・政府が悪い
・企業が悪い
・役人が悪い
・アメリカが悪い
・中国が悪い

 確かにそうかもしれない。だけど、そんなこと言ってたって何も始まらない。そうじゃなくて、「政府も悪いけど、俺だって悪い」という懐の深さと、前向きな発想転換力。ゴミ拾い活動を通して、そのことを伝え広めていければと願い、豆を撒く。(2008年 節分)


2008/01/27

 物心ついたときから家にはテレビがあり、夜は明るく、冬は暖かい。電気のおかげである。しかし、その電気がどのようにできるのか、僕等はほとんど知らない。頭では理解しているつもりだが、実は本当は理解していない。

 いま電気は半分以上が火力発電によって供給されているが、
・火を燃やすとどうして発電するのか?
・その発電所というのはどこにあるのか?
・その電気はどうやって家庭まで運ばれるのか?

 どうだろうか、きちんと答えられるだろうか。大人が答えられない問題は、子供にだって伝えることができない。
 「省エネ」「節電」と言葉で言うのは簡単だけど、リアリティがないと心に響かない。もっと目に見える、体で感じる、教育なり政策が必要じゃないだろうか。


2008/01/20

 世の中にはいろんなECOがあるなぁと最近思う。
 役人、主婦、経営者、労働者、金持ち、貧乏人、それぞれの立場や考え方によって、様々なECOが存在するわけだ。だからややこしい。いつまでたっても足並みが揃わない。
 「独りよがりのECO」「任務としてのECO」「仕方なくECO」「戦略的ECO」「プロパガンダとしてのECO」「およびでないECO」「ファッションECO」・・・どのECOが正しくてどれが間違っているとか、善悪を決めてもしょうがない。意味もない。
 だって、この星が国が街が壊れるとき・人類がダメになるときは、役人も芸人も主婦も旅人もみんな一緒だから。
 だから「何もしないECO」だけはありえない、と信じたい。


2008/01/13

 割り箸から朝鮮箸に切り替えた韓国居酒屋『高麗』に、栄えあるECOポイント第一号が発行された。
 こういう話をすると、「別に環境のことを考えてやったわけじゃないんじゃない?」「コスト削減しただけなんじゃない?」という懐疑的意見を言う輩が必ずいる。そういう意見に対して僕はこう言いたい。「それが何か?」と
 見えないところでどんな計算があるにしろ、割り箸の使用をやめることが環境によいことには間違いない。何もしないよりはよっぽどマシじゃないかぁ。誤解を覚悟でもっと極端なことを言うと、「ほら、ECOは儲かるんですよ」と言いたい。